メディアが多様化していくなか演劇は廃れゆく運命にあるのか、それとも盤石で根源的な芸術表現たりうるのか。編集部が注目する劇作家にお話をうかがってまいります。  




第4回
永山智行
(「劇団こふく劇場」主宰)
 

 

──永山さんには2022年の春、弊社より戯曲集「ロマンス/いきたひと/猫を探す」を刊行していただきました。この秋、いよいよ「ロマンス」のツアー(再演、全国9か所)が始まりましたね。

永山 ちょっと無謀ともいえるんですが……(笑)。でも、ツアーに行くのはいつものことでして、いろいろな土地に作品を持っていくというか、その土地の人たちに会いに行く、作品はその時の手土産のようなもので……。「ロマンス」の初演も、宮崎、三重、宮城、愛媛の四ヶ所で公演をしました。
 まったく知らないところに行くわけではなくて、これまでの活動のつながりのなかで誰かがいてくださるところにうかがう、というのが、劇団こふく劇場の基本的なツアーの組み方です。そこで待ってくれている人に会いにいくという感覚なので、こちらも非常に楽しみがあります。
 もちろん私の拠点とする三股町にも、ツアーで来たいという相談があれば受けています。人口2万5千人の小さな町ですが……。お互いに行き来をする関係が、全国の劇団とできているのです。




──公演活動以外にワークショップを行う劇団が多いですが、こふく劇場の場合には、「まちドラ!」という活動がありますね。

永山 「まちドラ!」に至るまでには前段がありまして、三股町の文化会館は2001年に開館したのですが、町の直営なんです。当時の担当者が、ただの箱で終わらせてはならないと考えて、みまた座という子供たちのワークショップを毎週木曜日にやりたいと考えました。6月からスタートして3月に終わるんですが、毎週一回は必ず子供たちが集まってくる場所にしたい、ということでスタートしたのです。そのとき、こふく劇場をフランチャイズカンパニーに置くという話をいただきました。この辺には他に劇団がなかったので、こふく劇場に声がかかりました。

──他に劇団のないところで、劇団を立ち上げたというのもすごいことですね(笑)。

永山 私はここの生まれで、高校のときに演劇を始めて、東京の大学に進学しました。22、3歳ぐらいのころは、ずっと東京でやるつもりでいました。でも、大学を卒業したものの就職活動を一切していなかったので無職になってしまって……、「とにかく帰って来い」と親が言うので、実家に帰ってきました。
 いつか東京に戻るつもりでしたが、こっちにいても暇だから、一回ちょっと公演をしてみようということで、高校の演劇部の先輩後輩に声をかけました。お客さんは数十人しか来ませんでしたが、アンケートに「面白かったです」とか「また来ます」とか「次も頑張ってください」と書いてあり、「次やったらこの人たち、また来るんだ……、なんか裏切れないな」という気持ちが芽生えて、やればやるだけ「また頑張ってください」とか「次行きます」と書いてあって、「やり続けないといけないのかな」みたいな感じになってきて、悩んでいたのが25歳の時です。
 その時に宮崎市内でぐるーぷ連という劇団のお芝居を見ました。いわゆるアングラでしたが、太田省吾さんと親交のある方たちで、無言劇とか舞踏を、民家を改造した自分たちの劇場で上演していました。それを見た時に、「宮崎でもこうやって好きなことやっている人たちがいる」と思いまして、「宮崎でやってみよう」と腹が決まった感じです。




──永山さんは2001年に「so bad year」でAAF戯曲賞を受賞していますよね。戯曲はずっと書いてらしたんですか?

永山 いつからというのがなかなか難しいですが……。高校の演劇部だった頃にちょっと書いたりしたんですけど、それは顧問の先生に「こんなのダメだ」と言われていたりします。
 大学の時もちょっと書いたりはしましたが、上演のアテがあるわけでもなく、友達が帰省して暇になった夏休みとかに書いたという程度で、実際に自分の書いたものを上演することになったのは、劇団を立ち上げてからですね。
 90年以降に「書いて上演すると、こういう風になるんだ」というようなことを実践しながら、当時は戯曲講座も何もなかったし、もちろんインターネットもなかった時代ですから、読むことと自分で書いてやってみるということを繰り返して学んでいました。

──そうこうしているうちに町立の文化会館ができて、ワークショップが始まるのですね。

永山 みまた座という子供たちのワークショップを始めたときに戯曲講座も始めました。
 戯曲講座でできた台本を翌年リーディングで上演する「ヨムドラ!」という企画もスタートしました。開館10周年の2011年に「おはよう、わが町」という町民参加のお芝居を作ったのですが、そのときには過去の戯曲講座受講生が台本を書き、みまた座の保護者から「自分も演じてみたい」という声も聞かれ、役場の方たち、歴代のワークショップの子供たちが出演してくれて、大きな芝居になりました。でも、一度やると、やっぱりみんなまたやりたくなるもので、「これで終わりじゃないよね」みたいなことをみんなが言い始めて……。
 毎年、町民参加のお芝居をやるのは大変なので、戯曲講座のリーディング公演をやってもらうことにしました。それまで毎年6作品、九州の劇団に上演をお願いしていたところ、3作品は今まで通り九州の劇団にやってもらって、残りの3作品は町民チームで上演することにしました。リーディングなので台本を覚えなくていいし 、1本 20分くらいの短い作品なので、ちょうどよいかと。
 その少し前に、劇団こふく劇場で鳥取の「鳥の演劇祭」に参加しました。鹿野町というかつての城下町で開催されているのですが、公民館、もう使っていない施設、役場の議場などを舞台にして、まち歩きしながらお芝居を見るというスタイルでした。これは面白いなと思って、三股町内のいろんな場所で、町民のリーディングを見て劇団のリーディングを見て、最後は文化会館のお芝居にたどりつく……。まち歩きとお芝居を見るのと、いろいろくっつけてスタートしたのが「まちドラ!」なのです。

──活動のウエイトとしては、劇団の作品作りと「まちドラ!」による市民交流で半々という感じでしょうか。

永山 「まちドラ!」も作品づくりも、劇団としてはもう本当に一つで、どっちかがかけてもできないというか……。「まちドラ!」では毎年レギュラーに参加される人もいて、私たちは町民の方々と会っていろいろな話を伺っています。そこで出会う人生が私たちの作品づくりの種となっているのです。その方々が客席に座っていることを想像しつつ、その人たちに対して嘘のない作品をどう作るかということが私たちにとっての命題になっています。

──永山さんの戯曲を読むと、社会的というよりは個人的、哲学的なものを感じていましたが……。

永山 根源的なところを探りたいというのはあるんですよね。人間っていう存在がそもそも何なのか、この連綿と続いていく人のいとなみというものは本当に何なんだろうなというようなことを探っていきたいというところはどの作品のベースにもあると思います。だからこそ、名もなき、歴史に名を残すわけではない人たちの暮らしに深く触れていくと、よりその根源って何だろうっていうような問いはどんどん大きくなっていくのだと思います。
(2023.11.2)

※ 劇団こふく劇場「ロマンス」は、2023/9/9〜2024/2/25全国ツアー公演


 

劇団こふく劇場
設立:1990年
団員数:現在10人
公演数:本公演25作(2023年現在)
主な公演劇場:三股町立文化会館
 

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